大判例

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高知地方裁判所 昭和41年(ワ)397号 判決 1967年11月17日

原告

酒井和彦

右訴訟代理人

大坪憲三

右訴訟復代理人

山本数樹

被告

右代表者法務大臣

田中伊三次

右指定代理人

上野国夫

(ほか五名)

主文

被告は原告に対し、金二、〇〇〇円およびこれに対する昭和四一年五月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事   実≪省略≫

理由

一原告が、昭和四一年五月一日午後七時二〇分高知市内において、原告主張の被疑事実によつて、高知県本山警察署員から逮捕状の執行を受け、同署留置場に身柄を拘束されたこと、同月三日午前八時五〇分ごろ、同署司法警察員が、原告を本山区検察庁検察官に送致する手続をなし、同日午前一〇時四〇分同庁検察官事務取扱検察官が、高知地方裁判所裁判官に対し、原告の勾留を請求したところ、同裁判所裁判官が、同日午前一一時四〇分ごろ、右勾留請求を却下する旨の裁判(原裁判)をなしたこと、右原裁判に対し、同日午後一時三〇分、高知地方検察庁検察官斎藤正雄が、高知地方裁判所に準抗告の申立をするとともに、同裁判の執行停止の申請をなしたこと、翌四日午後一時ごろ、準抗告裁判所が、原裁判を取消す旨の決定をし、かつ、原告に対する勾留状を発布したので、原告は、同日午後一時二五分、右勾留状の執行を受けたこと、および斎藤検事が、原裁判のなされた時から、右五月四日午後一時ごろまでの間、原告の身柄拘束を継続したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二原告は、右身柄拘束が違法なものであると主張するので、まず、この点について検討する。

(一)  法第二〇七条第二項によれば、勾留の請求を受けた裁判官は、勾留の理由がないと認めるときは、ただちに被疑者の釈放を命じなければならないものと規定されている。ところで、右勾留請求却下の裁判は、適法な勾留請求によつて暫定的に承認されていた被疑者に対する身柄拘束の効力を消滅させるとともに、検察官に対し、被疑者の釈放を命ずるものであつて、執行力を有し、したがつて、検察官が右裁判に対して準抗告の申立をした場合には、準抗告裁判所は、法第四三二条、第四二四条にもとづいて、右裁判の執行を停止する裁判をなしうるものと解すべきである。そして、この制度の実効性を確保するためには、検察官が右裁判に対して準抗告の申立をするべきか否かを検討するのに合理的に必要とされる時間内および更に準抗告の申立をした場合には、準抗告裁判所が構成されて一件記録を検討し、その上で執行停止の許否について一応の判断をなしうる状態に達するまでの合理的に必要とされる時間内は、いずれも、右裁判の執行を停止する裁判なくして、適法に被疑者の身柄拘束を継続することができ、更に進んで準抗告裁判所が執行停止の裁判をした場合には、それ以後、準抗告の申立に対する裁判がなされるまでの間は、勾留請求却下の裁判がなかつた当時の身柄拘束の状態に復元して、適法に被疑者の身柄拘束を継続することができるものと解すべきである。そして、右合理的時間の判定に当つては、いずれも、具体的事案に則し、個別的に判断すべきものであると考えられる。

(二)  そこで、<証拠>によれば、原裁判がなされた五月三日は祭日(憲法記念日)であつたため、斎藤検事(高知地方検察庁次席検事)は、正午前に、自宅で原裁判がなされた旨の連絡を受けたこと、そこで同検事は、同日正午過ぎに登庁したが、当直の朝倉検事が外出中であつたので、一件記録を裁判所から取り寄せて自らそれを検討し、事案の内容を把握したが、更に本山警察署刑事課長と連絡をとつた結果、原告の身柄を確保する必要があるものと判断したので、同署員および検察事務官に対し、準抗告の申立に際して追加すべき疎明資料を作成するよう指示し、その間に準抗告の申立書を作成して裁判所に提出するに至つたこと、右の事情から右申立書には申立の具体的理由が記載されていなかつたので、斎藤検事は、応援のため登庁した小柳検事に右追加すべき疎明資料を検討させたうえ、そのころ帰庁した朝倉検事の起案にもとづいて、同日午後四時ごろ、「準抗告申立理由について」と題する補充書面を裁判所に提出したこと、そして、斎藤検事は、右の手続をとる一方、検察事務官に命じて、同日午後四時前ごろ、午後四時すぎごろおよび午後五時ごろの計三回にわたつて、裁判所側に対し、早急に執行停止申請に対する判断をされるよう申し入れさせ、右判断がなされるまでは、原告の身柄を拘束して待機させておく旨連絡させたこと、右申し入れに対し、裁判所の当直職員は、いずれも、準抗告裁判所を構成する裁判官が外出中のため、その行き先を捜しているが、目下のところ、それが判明しない旨の回答をしたこと、そこで、斎藤検事は、小柳検事に対し、執行停止についての判断がなされたら、自分宛連絡をとるよう指示して、同日午後五時ごろ帰宅したこと、そして、同日午後七時ごろ、斎藤検事は、小柳検事から、裁判所側と連絡した結果、まだ執行停止についての判断が示されないが、右裁判はだいぶん遅れそうである旨の連絡を受けたので、それまで、準抗告裁判所の勾留質問に備えて検察庁内に身柄拘束のまま待機させていた原告を、本山警察署に押送して同署に留置するよう指示したこと、以上の各事実が認められ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(三)  そして、右認定事実によれば、まず、原裁判がなされてから準抗告の申立がなされるまでの時間は、そのほとんどが、同申立をするべきか否かを検討するために使用されたものと認められるので、その間における原告の身柄拘束は、合理的時間内でなされた適法なものであつたと認めるのが相当である。次に、準抗告の申立後同日午後七時ごろまでの時間は、検察庁側についてみれば、早急に執行停止についての判断を求めるべく努力をしていたものであり、他方、裁判所側においても、当日が祭日であつたため、外出中の裁判官の行き先を捜すなどして、準抗告裁判所を構成させるべく努力を払つていたものと認められるので、その間における原告の身柄拘束もまた準抗告裁判所を構成するために必要と認められる合理的時間内でなされた適法なものであると認めるのが相当である。しかし、同日午後七時ごろ、小柳検事が、裁判所側との連絡内容にもとづき判断した結果、斎藤検事に対し、準抗告裁判所の構成が困難であつて、執行停止についての判断は、早急には得られそうもない旨連絡して指示を仰いだ時点においては、準抗告裁判所の構成が不可能ではなかつたにしても、相当その見込みが少くなつて来ていることが判明していたものというべきであるから、右午後七時ごろから以後の時間は、同裁判所に必要な合理的時間を超えるに至つたものと認めるべきであり、したがつて、同日午後七時ごろから原裁判が取消されるまでの時間内における原告の身柄拘束は、違法なものであつたといわなければならない。

三そこで進んで、斎藤検事の過失の有無について判断する。

(一) 証人<略>の証言に弁論の全趣旨を合わせ考えれば、斎藤検事は、準抗告の申立と執行停止申請に関して、二(一)で述べた当裁判所の見解とほぼ同様の見解を有していたが、執行停止申請については、右申請を準申立権的なものと理解していたので、準抗告裁判所においては、右申請に対する許否の判断を検察官に通知すべき法律上の義務があり、その通知(文書または口頭による)がなされるまでは、被疑者の身柄拘束を、合理的時間内のものとして、適法に継続することができると考えていたこと、また、同検事は、従前、勾留請求却下の裁判に対して、検察官が準抗告の申立と執行停止申請をなした際、当日が休日等であるとか、準抗告裁判所が構成されない等の事情があつて、執行停止の裁判がないまま、本件のように長時間にわたつて被疑者の身柄拘束を継続した事例を扱つたことはないし、また、他の検察庁において本件のように長時間身柄を拘束した事例がある旨聞いたこともなかつたこと、更に、同検事は、右のような事例について、被疑者の身柄拘束が合理的時間内であつて全面的に適法であるとする見解の存在を聞知したこともなかつたこと、以上の各事実が認められ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(二) ところで、勾留請求却下の裁判に対し、執行停止制度を肯認する見解の中でも、検察官がなす執行停止申請の性質については、準抗告裁判所の職権発動を促すものであるとするのが多数の見解であると思料されるところ、右(一)に認定の事実に、前記二(二)で認定した事実を総合して考えると、斎藤検事は、たとえ、個人的に、右執行停止申請の性質について多数説がとつている職権発動の見解と反対の見解を有していたとしても、執行停止がないままで被疑者の身柄拘束を継続することが執行停止制度の実効性を確保する見地から承認されうるところの暫定的、例外的なものであることに鑑み、本件においては、準抗告裁判所が構成できる見込みが相当稀薄となつたことが判明した五月三日午後七時ごろの時点において、原裁判の執行停止のないままで原告の身柄拘束を継続できる合理的時間は、既に限界に来たものと認識、判断して、原告の身柄拘束を解くべきであつたと認めるのが相当であるから、右の点を認識せずして、同時刻以降も原告の身柄拘束を継続した同検事の行為には過失があつたものというべきである。

四そうすると、原告は、五月三日午後七時ごろから五月四日午後一時ごろまでの間、被告の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについてなした過失行為によつて、違法に身柄を拘束されたものというべきであり、その結果、身体の自由を侵害され、精神的、肉体的な苦痛を被つたであろうことは容易に推測できるので、被告は、原告に対し、右不法行為によつて、原告が被つた損害を賠償すべき義務があるというべきである。

ところで被告は、損益相殺を主張して、原告の損害が実質的には発生する余地がないと争うので、以下この点について検討する。

前記のとおり、準抗告裁判所が、五月四日午後一時ごろ、原裁判を取消す旨の決定をして、原告に対する勾留状を発付したので、原告は同日午後一時二五分その執行を受けるに至つたことは当事者間に争いがない。そして、法第二〇八条第一項によれば、起訴前の勾留期間は、原則として、勾留請求の日から一〇日以内と法定されているところ、右規定は、人権尊重の見地から、被疑者が長期間身柄を拘束されるのを排除しようとする趣旨であると解されるので、右の制度趣旨から考えれば、右法定勾留期間内に、違法な身柄拘束がなされた場合においても、その拘束期間は、すべて右法定勾留期間に含ましめて計算すべきものと解するのが相当である。したがつて、本件の場合においても、原告に対する前認定の違法な身柄拘束期間は、その後原告が適法に勾留された結果、すべて、法定勾留期間内に含ましめて計算されることになつたというべきところ、そのため、原告は、右身柄拘束によつて、その期間に相当する法定勾留を免れることになり、ある種の利益を受けたものと認められるが、右利益は、前判示のとおり、元来同条項の制度趣旨に由来するものであつて、本件損害賠償とはその趣旨を異にするものというべきであつて、原告に損害を発生させた本件違法な身柄拘束を法律上の原因として生じたものとは解されないので、損益相殺における原因の同一性を欠くものというべきであり、したがつて、右事情を慰謝料額の算定において考慮すべき点は別として、原告の被つた損害から当然に控除されるべき利益として扱うことは許されないところであるといわなければならない。よつて、被告の損益相殺の主張は採用することができない。

五そこで、最後に、原告の被つた損害の額について判断するに、<証拠>によれば、原告は、当年二五才で新制中学校卒業者であり、昭和三七年二月に自動車運転免許を受けて以来、運輸会社や土木建設会社に雇われて運転手生活を送つて来たが、本件前においては、日当金一、〇〇〇円の日雇労務に従事し、家族として、妻と女児一人を有すること、また、原告は、道路交通法違反の前科が一件あるほか、本件当時、業務上過失致死傷罪の嫌疑で在宅のまま捜査を受けていたところ、本件犯罪事実とその余罪および右業務上過失致死傷罪で実刑の判決を受けたため、現に服役中であること、そして、本件後において、原告は、違法な身柄拘束の事実を知り、不満を覚えたこと、以上の各事実が認められ他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。そして、以上の認定事実および本件違法な身柄拘束の時間ならびに右時間が法定勾留期間に含ましめて計算されたこと、その他本件に現れた諸般の事情を考慮すれば、原告の精神的苦痛に対する慰謝料額は金二、〇〇〇円が相当であると認められる。

<以下―略>

(小湊亥之助 岡崎永年 西尾幸彦)

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